『仏典はどう漢訳されたのか』


仏典はどう漢訳されたのか――スートラが経典になるとき
というの本を今読んでいます。

 詳しく書いていて面白いですね。それに知っている三蔵の説明が多く出てまいります。
よく見れば、この船山徹さんは岩波文庫の高僧伝を書いた人と同じ方でしたね。

 この本を読んでいくつか誤った知識を改定できたところもありました。たとえば、別の本で法顕は戒律を求めてインドまで行ったのだが、その後にしばらくして鳩摩羅什長安に来た。鳩摩羅什は戒律に詳しかったので、そのまま中国にいて鳩摩羅什を待っていれば目的を達成したというような記述がありましたが、鳩摩羅什説一切有部十誦律を訳しておりますが、決して詳しかった訳ではありません(全部を暗記していませんでした)。その時にインドから来た僧(弗若多羅)が暗記していた律を誦出したものを共訳したというものでした。それもその僧が早死にしてしまったので、未完のまま放置せざるを得ない状況だったようです。その後にインドから来た僧(曇摩流支)がたまたま同じ戒律を暗記していたので、やっと訳出が終わったそうです。それも最後の校訂ができずに鳩摩羅什はなくなっています。校訂は鳩摩羅什の死後に鳩摩羅什のお師匠様(卑摩羅叉)の手でなされておりますね。これは高僧伝に載っていたようで、高僧伝も読んではいましたが忘れていたのでしょうか。

 また、その中で、経典の漢訳には転用というか、流用がかなり多かったことが書かれています。
たとえば、仏陀跋陀羅は華厳経を訳出するのに、十住経(鳩摩羅什訳)を流用したことが書かれてありました。

 これで思ったのですが、大無量寿経に平等覚経の五悪段部分の流用と思われるところがあるのも同様に行われていたのかもしれません。こんなことを訳者がするかなぁと思っておりましたが、これを読んでそういうこともあるのかと納得できました。

 ただし五悪段は流用というよりもその部分がすでに欠落していた可能性もあるので、旧経典による補完ということが行われた事実があるかは今後研究や確認が必要かもしれません。そんなことをいろいろ考えされるものでした。

 また、訳出作業は一種の法会であったという話も面白く、鳩摩羅什などは訳出をしながらお経の解説をしていて、そこには多くの僧侶が同席して講義を聞いていたといいます。それに訳出は今では少し変だと思うような方法でなされていました。

 詳しくは読んで頂くのが一番よいでしょうが、かいつまんで書くと、

梵語で読み上げて、それが正しいかどうかをチェックし
②その梵語を漢字に変換して書く
梵語の漢字を語順をそのままに中国語に置き換える
④中国の語順に置き換える
⑤文を整える

 それぞれの役割に人を配置して作業を行ったようです。本の中にも書いてありましたが、現在の人が日本語を英語に訳するときにこんな訳し方をしている人はいないでしょうから、当時は漢文への訳出は機械的な訳出をしていたことが分かります。

 まだ半分くらい読んだだけなので、今後読んで思うところがあればまた書きたいと思います。