一週間息子の面倒を一人でみました

 一週間、かみさんが実家に帰って、その間、息子の面倒を見ていました。5歳なのでもう大丈夫だろうと思ったのですが、思った以上に大変でした。
 最初の二日くらいは何の問題もなかったのですが、食べ物のせいなのか、口角炎になり、鳥肌のような乾燥肌になって、大慌てで病院に連れて行きました。
 昼間あずかってくれる約束をしたかみさんの友達のところに一度は行ったのですが、次の日は嫌だとグズるので仕事場に連れて行き、隣でタブレットを見させながら仕事をして、
 夜は一緒に寝て、夜中に必ず泣き出すので、だっこしてあげる、みたいな生活で本当にくたくたで部屋の掃除もできないような状況でした。かみさんの大変さが分かりました。

 でも子供はかわいいので、しょうがないなぁと思いながら面倒を見るというような状況でした。
 「ヤンチャリカ」という幼稚用の歌が好きだったので、車の中で、この歌をかけながら運転したり、
 「ウルトラマン」がすきなのでウルトラマンオーブの主題歌を聴きながら運転したりして、それはそれで楽しくて良かったのですが、
ヤンチャリカの歌の「おもちゃをバラバラ、ヤンチャリカ!、いたずらニコニコ、ヤンチャリカ!」に共感するほど、いたずらものなので、
散らかして困ります。仕事場でそういうことをした時はかなり怒ったのですが、ごめんなさいといいながら、また繰り返すみたいなことをやっています。

 やっとかみさんが帰ってきて、息子は「かみさんが世の中で一番すき!」とか言って喜んでいました。ほっとしてやっと元の生活に戻れました。育児は本当に大変だということですね。

歎異抄(念仏物語DVD)

最近、本願寺出版社の念仏物語のDVDを自動車の中で息子と一緒に見ています。

2ヶ月くらい前、幼稚園からもらったベネッセのDVDを見ていたのです。うちは年中さんなのですが、そろそろ小学校入学の準備ということでしょうか、小学校はどういうところかという内容のDVDなのですが、その大部分がベネッセの宣伝で、えげつないほどの宣伝に、少しげんなりしてしまって、こんなの見ているなら、親鸞聖人のDVD見るように話をしました。それから親鸞聖人のDVDを見るようになったのです。

ところが、息子が大変気に入って、何度も見るようになりました。(運転中は画像が見えないので聞いているだけなのですが)もともと、息子は同じ番組を何度も見るのが好きなのですが、念仏物語もあきることなく見るようになりました。


先日、迎えに来てもらい車に乗り込んで、かみさんと今日何があったというような話をしていると「言わないで!(しゃべらないでの意味)」と息子が怒ります。どうしたのかと思ったら、親鸞聖人のDVDが聞こえなくてそういうのです。

それでDVDの中で「どれが好きなの?(念仏物語は、歎異抄蓮如上人上、下と分かれています。)」って聞いたら、息子は「一番先の!(歎異抄)」と答えました。歎異抄が特に気に入っているようです。蓮如上人の上下も見るのですが、DVDが終わると直ぐに歎異抄まで早戻しをして見ています。

そんなわけで歎異抄がたいそう好きなようなので、先日、おつとめの後に、歎異抄を少し読んであげました。それで第2章を読み始めたら「あぁ!」て反応しました。少し言葉使いが違うのですが「DVDのと同じだよね!」って。。

そして色々話しをしたら「昨日、あけみちゃんに「法然上人にだまされて、たとえ地獄に落ちても後悔しない」って話したんだよ。」って言い出します。

それで、こちらの方がびっくりしてしまって、歎異抄はこんな子供にも魅力のあるものなんだなぁと感心した次第です。

息子が好きな歌

最近、息子とおつとめをしています。

おつとめの最中、おとなしくはしていませんが、それでも最後までヨコにいてくれます。
ある時「自分の好きな歌を歌って!」とおねだりされました。

好きな歌?と思って思い返しました。昔、1歳か2歳の頃、真宗宗歌を歌ったら、
喜んで聞いていたのを思い出して、真宗宗歌を歌ってあげました。

それで正解だったようで、喜んで聞いていました。

歌とは不思議なものだなぁと思って、時々真宗宗歌をうたって一緒におつとめをしています。

息子のことを思うとあまりに愛情が深くすぎて苦しくなることがあります。
どうしてかよく分かりません。自分が先に死ぬことが分かるからでしょうか。
息子の行く先が案じられるからでしょうか。息子と会えなくなると思うからでしょうか。

先生が子供がいないと阿弥陀さんの心が分からないと仰ったことがありました。
自分の子供への愛情が分からないと阿弥陀様の衆生への愛情が分からないというものでしょうか。

なんともいえない切なくなるような愛情。衆生憐憫の心はもっと深いに違いありません。

瑞剱先生三七回忌、御正忌

先日、瑞剱先生の三十七回忌に参加してきました。
皆さん、ご高齢になって、先生を知る人がだんだん少なくなって行くことが
寂しく感じます。

最後に息子が寝てしまったために、起きるのを待ってから
帰りましたから、結局、参詣者で最後になりました。

せっかく神戸まで来てそのまま帰るのも寂しいので、ご本山によるべく、
京都に泊まりました。

ご本山の朝のお勤めに参りました。

ちょうど御正忌であったため、讃仏偈と正信偈ではなく、阿弥陀経と往生礼賛偈をあげました。
往生礼賛偈は初めてだったので、本当に新鮮な気持ちになりました。

それにしても、導師の方の声が奇麗で、心が洗われるとはああいうものを言うのでしょう。
また、機会があれば参詣したいと思います。

歯木(しぼく)

最近、事務所で一人で仕事をしています。
そのため、食事後に歯磨きを励行するようになりました。

ただ、歯磨き粉で歯を磨くだけだと口の殺菌には十分ではないように感じ、
最近は、マウスウォッシュを使うようになりました。
そうすると、少し具合がよくなっているように感じます。

こういうのを習慣にすると旅行などの時、少し困りますが、今は小さい入れ物に
マウスウォッシュ液を入れてもって行くようにしています。

お釈迦様時代は、歯磨きには灌木を使っていたようで、経典に出てきますね。
何度か読んだことがあります。

歯ブラシを歯木というようです。歯磨き粉もあったようですが、経典には、そこまで
出てこなかったような記憶です。

さて、歯磨きの功徳をお釈迦様は次のように教えています。

(一)口中の臭気を除く
(二)食物の風味がよくなる
(三)口中の熱を除く
(四)痰を除く
(五)眼がよくなる

眼がよくなるというのは意外な感じがしますが、清潔を保つことで血管の血液が清潔になるので
そういうことが起きるのだと思います。

さて、歯磨きは歯槽膿漏や虫歯の原因を除く以外に、口の中の細菌を殺します。
口の中の細菌は血管を通り全身に運ばれるようで、顔などのシミの原因になったり
します。歯磨きは励行することをお勧めします。

自信不及のいたすところ

努力精進の章で落ち込むなということが何度もでてきます。

表題は元々は禅宗の言葉です。

努力精進をしていると、自分には出来ないと思って落ち込むことがありますね。
そんな時にこのお言葉を思い出します。

特にこれは聖道門においてですが、浄土門でもそうですね。全く進んでいる感じがせずに落ち込むことがあります。

聖道門では落ち込んでいては修行にならないですから、まず自分が仏になれるということを信じられないと先に進めません。


釈迦ももとより凡夫なり
我も悟れば仏なり

結局、自分を信じるということから始めなければなりません。

「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆な如来智慧徳相を具有す。」

仏様の眼には私たちがいずれ仏になる姿が映っています。

一切悉有仏性、如来蔵である私、親様がいると信じることができれば、地獄には行かなくなります。