千の風になって

 この歌がまだ流行っていますね。この歌で慰められることもあるようですし、オペラということもあり、家内も好きでうたっているため、息子も影響されてうたっています。

 一度、家内とこの歌の件で喧嘩というか少し注意しました。

 私の言いたいのは「仏教思想と違うものをうたうな」ということです。息子も影響を受けるだろうと。
 「死んだら、千の風になるなんて事がある訳ないだろう」と。こんな迷信のような歌うたっちゃダメと申したわけです。今は仏教学者なども死後を認めないのでこの歌が好きな人あるようですが、個人的に大層嫌いな歌です。将来息子に理解してもらうために書いておきます。

 弥陀の浄土の往生すると、仏になり、また還相の菩薩になりますから、その際は、十方の浄土に一瞬に往観する力が得られると言われていて、瑞剱先生は、そこを「臨終でも前途洋洋である、鳥を見ては天かける日を夢見ている」と仰います。臨終でも前途洋洋とは大変すばらしいです。

 そのように解釈すれば千の風になるというのも何とかなるかもしれませんが、それにしても、死んだら誰でも千の風になるとは、言っては何ですが少々迷信じみた歌です。この歌はもともと、墓の下に眠る人を弔うという風習を打破して人に安心を与えるという構図なのだと思いますが、何といいましょうか、個人的には良い評価はできません。