大智度論の物語から

 最近表題の本を読んでいます。


三枝 充悳さんの書かれたものです。

 この話は二巻目ですが、目の引く内容があったので紹介します。これは他の本で読んだことがありました。少し表現が違っており、以前読んだ本の方が最後のところがお釈迦様についてが分かりやすかったので、ここにはそちらを書いてみます。

 120歳を超える老婆の比丘尼に阿羅漢の悟りを開いた比丘がお釈迦様の話を聞きに詣でたという話です。その比丘尼は若いころ、お釈迦様を拝見したことがあるということでした。

 比丘は比丘尼の弟子を通して比丘尼と連絡を取り比丘尼の家を訪ねて行ったところ、比丘尼は戸の前にごま油の入った鉢をおいておきました。比丘が戸を開けるとその勢いでごま油がこぼれてしまいました。

 そこで、比丘尼が申すには、お釈迦様時代に6人の悪人の比丘たちがいました。その者たちは大変悪人でしたが、比丘の礼儀作法を身につけており、今のあなたのような戸の開け方はしませんでした。あなたは阿羅漢の悟りを開いた比丘ですが、その振る舞いはお釈迦様当時の悪人にも及びませんと。

 また、お釈迦様の話として次のことを話しておられます。
 私は小さいころ草原で初めてお釈迦様を拝見しました。その時お辞儀をした際に、髪飾りを落としてしまって、その髪飾りを拾おうとしたところ、そこにはお釈迦様の足跡があったのですが、その足跡があたかも金剛のリングのように光っているのが見えました。(大智度論の物語では、お釈迦様が林に入ったところ、そこがお釈迦様の光明によって明るくなったと説明しています。)

 その素晴らしさに感動して私はお釈迦様の弟子になりました、うんぬんと。

 この話で知らされることは、お釈迦様時代は、如何に気質がしっかりされていたかということです。80年足らずで、気質が衰えたということが分かります。今は2600年以上もたち、どれほど衰えていることか、私たちは自分を反省してみるべきでしょう。

 もう一つは、お釈迦様が如何に素晴らしかったかということです。その功徳の尊さを私たちは改めて考えてみる必要があると思います。

 私たちは現代科学の発展で特に日本は綺麗な国です。そういう所で生活しているとまるで私たちの方がお釈迦様時代よりずっと素晴らしいくらいに思えてしまいますが、決してそんな事はないのです。

 法顕伝や玄奘の伝記を読むと法顕も玄奘三蔵もお釈迦様のお墓の前で泣くのですね。その理由を伝記を日本語訳した人はあまりに荒れ果てたさまを見て泣いたのだと説明してありますが、それだけではないと思います。

 私たちは不徳なるが故にお釈迦様を拝見することが出来ないでいるのです。その不徳さを荒れ果てるほど過去の昔という現実としてお墓の前で知らされ、ご自身を懺悔されて泣いたのだと思います。

 そういうことを一度思い直すべきだと思います。