五十音図について

 前紹介した『仏典はどのように漢訳されたのか』の中で紹介された『五十音図の話』という本を読んでいます。私は五十音図は戦後などに整理されたものだと勝手に思いこんでおりました。


五十音図の話 馬渕 和夫

 どうして勝手にそう思ったかというと、私の先生は日本語のひらがななどを教えるのに「いろは歌」を使っておられて五十音図を使っておられず、また先生の子供のころの教科書なども見せてもらったことがあったからです。そこでは「いろは歌」でひらがなを教えておりました。

 といいますのは、先生は特に中国への布教をされていましたので、その関係で先生の家に香港などの学生が時々しばらく泊まるなどして勉強されていた時期がございました。その時、先生は日本語を教えられたわけですが、決まって「いろは歌」を教えておられました。先生は特にこれが空海の書いたものであることもあって好んで教えておられたようです。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

 また、戦前の先生の国語の教科書には、この歌が載っておりました。先生の家で先生の教科書を見せて頂いたことがあります。

 それを見ていたので五十音図は近代的な言語学から出たものだと勝手に思っておりましたが、これを読んで分かりましたが、五十音図はもともとは悉曇学といって平安時代の日本の梵語研究から出来たものであるということでした。

 日本語はある意味、仏教ととても縁の深いものなのだなぁと痛感した次第です。


 ちなみに、法雷では、他宗派の教義を貶めず大切に扱いますね。それは同じ仏教である以上、縁のある人がそれを修行すれば結果が得られるからでしょうか。浄土真宗を誇大に宣伝するところもありますが、浄土真宗は凡夫のための教えで機の面からいったら、聖者と比べて素晴らしいといえるところはありません。

 五十音図は、遡れば平安時代の明覚まで行くということですから、親鸞聖人もこれをご存じだったかもしれません。

 仏教の学問が日本文化に大変貢献したことが知られます。

 また、こういう発音表以外に、反切というもので漢字の音を示していました。教行信証にも、そのような表記があります。今は中国ではpinyin(アルファベット)で表記しますが、昔は漢字で読みも表記していたのです。

証字 諸応反
命字 眉病反

 これは反切といって漢字の読みを書いたものです。漢字を子音と母音に分け、ある分かりやすい漢字でその子音と母音を示して音を教えるものです。上の例は分かりやすいですね。証の字は、諸(sho)応(ou)で、shouと読むという具合です。この例のように親鸞聖人は教行信証の中で案外簡単な漢字に読みを示しているんです。

 これなど分かれば何のことはありませんが、初めて読むと何のことなのか分からないので、一応知っておく必要がありますね。