住職が殺人罪で逮捕の件

最近、この問題がニュースになっていました。個人的にお寺さんを非難するつもりはないですが、この問題の根深さだけを指摘したいと思います。ちまたの情報が正しいとしたらとして話しを書いてみますが、一見とても良い住職さんで檀家の人に「後生はない」と説明していたと書いてありました。なんといいますか、それが正しいことだと思っていたわけでしょう。

これは、結局、今の日本仏教の問題であり、仏教の布教師たる人が仏教の教理である輪廻転生を信じていないことを表しています。このような思想を仏教では邪見といって、特に罪深い悪を作るので特に注意されているのです。

仏教教団がこういう思想者を生む現状が悲しいことです。しかし、この方だけの問題ではありません。今の日本仏教の常識になっています。これはすべて近代仏教学の学者の影響です。最近の方では特に中村元さんですが、このような人が一体、どれだけの悟りを得た人なのでしょうか?仏教で教えている悟りを一段でも登った人なのでしょうか。浄土真宗でいうならば、信心決定された人なのでしょうか。お釈迦様や過去の菩薩方、聖者の方ほど尊敬できる人なのでしょうか。一度、私たちはそういうところを考えないとならないと思います。

先日から、チベット仏教菩提心について学んでいますが、チベット仏教の僧侶の方は、日本の過去世、未来世を否定する学風を特に批判されています。仏教という冠をもうけていながら、このような思想に堕落しているのは日本だけです。悲しいものです。今はチベット仏教の影響を受けて志しのある方は日本仏教の問題に警鐘を鳴らしておりますが、これは、教団全体で取り組まなければならない問題でしょう。特に浄土教は後生を否定しては一部たりとも成り立ちません。

結局、断見外道の恐ろしいところは、後生がないと思うので、今生だけだから何をやっても利益が得られたら良いのだという短絡的な思想に落ちやすいところです。このような邪見な思想に堕した人を倫理道徳などでどれだけ矯正することができるでしょうか。

後生を否定しては、出離の心が起きません。菩提心も後生を否定しては起きえないのです。これは浄土教でも同様です。後生を否定して信心決定している人があれば私のところにきて説明してほしいです。そのような方はあるはずもありません。つまり信心を得た人もいないという現実をどう考えるのでしょうか。