衆生苦悩我苦悩 衆生安楽我安楽

息子はここ3ヶ月中国の幼稚園に入っていて、そろそろかえってきます。
先日、息子たちは休みをとって普陀山というところに行ったいう知らせがありました。観音菩薩で有名なところのようです。


また、ここは海の近くにあるため、息子が海辺で戯れる動画を送ってきました。息子が喜んだ声を出している所を見ると不思議にこちらも笑っています。
何度見ても笑ってしまいます。これは、たぶん、肉親にしか分からない感情かもしれません。

その時、東方偈に、

応時無量尊 時に応じて無量尊、
動容発欣笑 容(みかお)を動かし欣笑を発したまひ、
口出無数光 口より無数の光を出して、
遍照十方国 あまねく十方国を照らしたまふ。
廻光囲繞身 光を回らして身を囲繞すること、
三匝従頂入 三匝して頂より入る。
一切天人衆 一切の天・人衆、
踊躍皆歓喜 踊躍してみな歓喜す。
大士観世音 大士観世音、
整服稽首問 服を整へ稽首して問うて、
白仏何縁笑 仏にまうさく、「なんの縁ありてか笑みたまふや。
唯然願説意 やや、しかなり。願はくは意を説きたまへ」と。
梵声猶雷震 〔仏の〕梵声はなほ雷の震ふがごとく、
八音暢妙響 八音は妙なる響きを暢(の)ぶ、
当授菩薩記 「まさに菩薩に記を授くべし。
今説仁諦聴 いま説かん。なんぢあきらかに聴け。
十方来正士 十方より来れる正士、
吾悉知彼願 われことごとくかの願を知れり。
志求厳浄土 厳浄の土を志求し、
受決当作仏 受決してまさに仏となるべし。

というのがあるのを思い出しました。

阿弥陀仏は我々の決定をにっこり笑って見ておられる。それは親が子供の喜びに共感するがごとくなのだと思います。

私の先生は、親にならないと阿弥陀さんの心は本当のところよく分からないと仰ったことがありました。その言葉も思い出しました。

我々は我執が強いため親族にしかこういう心が起きませんが、阿弥陀様は大我の中で生きておられるので、一切衆生を自分の息子とみておられるのです。