怒りについて

ときどき、怒りがおき、コントロールできず困ります。
怒りは瞬発的に置き、防ぎようがないのだから、仕方ないと思ったりします。

皆どうやって怒りを起こさないのでしょうか。。。

環境がよければ、怒りも出ないこともあるでしょうが、そういう人も環境が悪い
ところで生活すると、みるみるうちに凡夫になってしまい、怒りのコントロール
に苦しむはずです。

しかし、よく考えてみました。

私たちは打算的に生きている生物で、たとえ一瞬といえども打算の中で計算して
怒りを起こしているということに気づきました。

その場が決して怒ることが出来ないところならば、私たちは、怒りを堪える
ことが出来るのではないでしょうか。。。。

怒りを起こして抑えられないというのは、理性的押さえが効かない状態なのだと
思います。

より、一層の深い理性の中に生きることが出来れば、多少なりとも怒りを抑えられる
かもしれません。

仏教では、私たちは実体視する心があるから、怒りや執着が起こると教えています。
私たちは自身も他人も自性が無いので、実体もありません。

ところが、私たちはそれが固定的にあると思ってしまっています。
だから、怒りも起こるのだといいますね。。。。

仏教の空性の修行をすると、幻のごとく観察することができますから、

打つ人も打たれる人ももろともに
如露亦如電 応作如是観

良寛

のように観察して忍耐することができるようになります。

ただ、これは大変自力の修行が出来た人で、私たち凡夫はなかなかこの境地に至りませんね。

ですから、もっと広い慈悲などの論理から深い理性の中で怒りをコントロールするしか
ないかもしれません。

また、日頃の反省の中で、懺悔しつつ生きることができれば、改善することが出来るかも
しれません。

最近、そんなことを考え実践を心がけているような次第です。