龍樹、空の論理と菩薩の道 (4)

不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去の八不中道、または不生の縁起についてですが、

これには枕詞が省略されています。


それを瓜生津龍真さんは、94ページに

生滅を離れている、すなわちものは実体として生ずるのでも滅するのでもない、という次第をもって説かれる縁起である、

と書かれていますが、

ここで、分かりますように、不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去とは、枕詞として「自性として」という言葉が省略されているわけです。(実体としてというのは自性としてと同義です。)

八不中道の縁起は、この言葉がなく説明がされるとどうしても難解な言葉になり意味も分からないのですが「自性としては」という言葉を入れると生じることも滅することもないという意味が分かってくるのです。

日本の伝統仏教では、この八不の説明に「自性としては」という枕詞を使っているものを聞いたことがありません。

瓜生津龍真さんの説明はチャンドラキルティーの解説を踏襲しているため、上記の自性としてはという枕詞が入るのですが所々日本の伝統仏教的な説明が混在するため、分かりづらいと感じます。

たとえば、P98の「仏陀の悟られた縁起は生滅を超え、有無を超えた深遠な縁起であって、それが空なる縁起であることが説き明かされている」とあるのは、日本伝統的な仏教の説明に近く、自性としてはという枕詞がないので、いわんとしていることが分かりづらいです。

また、空の縁起の空は、無自性のことです。空という言葉を読む場合は、無自性と置き換えて読むのが分かりやすいです。