順世派の考え方が今の科学信仰に似ている

 順世派というのが、お釈迦様時代にありました。これは六師外道の中の一つとされています。

 この順世派の考え方は、唯物論であり見たものしか信じないという考えかたで、前世や来世のあることも否定しました。ちょうど今の科学信仰に似ていますね。

 ちなみに、六師外道については、教行信証信巻に載っていますので、今問題の順世派がどのような思想であったか、見てみましょう。

 大臣すなはちまうさく、〈やや、願はくは大王、愁苦を放捨せよ。王聞かずや、昔王ありき、名づけて羅摩といひき。その父を害しをはりて王位を紹ぐことを得たりき。跋提大王・毘楼真王・那睺沙王・迦帝迦王・毘舎佉王・月光明王・日光明王・愛王・持多人王、かくのごときらの王、みなその父を害して王位を紹ぐことを得たりき。しかるに、ひとりとして王の地獄に入るものなし。いま現在に毘瑠璃王・優陀邪王・悪性王・鼠王・蓮華王、かくのごときらの王、みなその父を害せりき。
 ことごとくひとりとして王の愁悩を生ずるものなし。地獄・餓鬼・天中といふといへども、たれか見るものあるや。大王、ただ二つの有あり。一つには人道、二つには畜生なり。この二つありといへども、因縁生にあらず、因縁死にあらず。もし因縁にあらずは、なにものか善悪あらん。やや願はくは大王、愁怖を懐くことなかれ。なにをもつてのゆゑに、《もしつねに愁苦すれば、愁へつひに増長す。人眠りを喜めば、眠りすなはち滋く多きがごとし。婬を貪し酒を嗜むも、またまたかくのごとし》〉と

 ここにあるように善悪業果を認めず、前世も来世も地獄、餓鬼、天上界も認めておりません。

 このような考え方がある中、お釈迦様はどちらかというとジャイナ教に近い考えで当初苦行もなされたようです。ただし、ジャイナ教は、一度犯した罪は変えられないという考え方でしたが、お釈迦様はこれを嫌われたようです。つまり、罪も懺悔などで滅罪ということがあると教えられたわけです。

 原始経典の中では、お釈迦様はジャイナ教を排斥されていません。ある王が元ジャイナ教の信者であったのに、お釈迦様の教えに感銘して宗旨替えしたときに、お釈迦様はジャイナ教信者も同様に保護せよと仰っています。

 ですから、ジャイナ教などの考え方を見るにつけてもお釈迦様のその当時の考え方が見えるというもので、もし今の学者の説が正しいとするとどちらかというと順世派の考え方にお釈迦様の考えが近くなくてはいけなくなると思いますが、そういうことにはならないですね。