努力精進

この間の仏教の講義(入菩薩行論)の中で、「精進とは善に対して喜んで励むこと、そして六波羅蜜の基盤になるものだ」と教えられました。

そういえば、小学校の時に図画の時間に書いた絵に好きな言葉を書くように言われて絵の上に「努力」と書いて、それを持ち帰って
家に飾ったのを思い出しました。自分はそういう純粋な心を忘れているのかもしれません。

息子とおつとめをした後に、チベット仏教で教えられた、白と黒の石を置いて、善をすれば白、悪をすれば黒をおいて一日の
反省をするというのを息子としました。

息子に今日は白黒のどっちだと聞いたら、「僕白ばっかり!」というものだから、「今日ママに怒られなかったか?」って聞いたら、
「あぁ!」と言っていました。それはわがまま言って泣いた時に怒られたのであって、その泣いたのも、ただ、ぐずって泣いただけ
で、特に大きな悪の動機とは言えません。

子供は心が真っ白で、煩悩に邪魔されることがあっても、純粋に生きているんだなぁと思いました。

大人になるに従って、悪い動機というのが出てくるのでしょう。

以前、大学のサークルで先輩によく怒られましたが、何で怒られたかよく分からなくて・・・・
それが社会人になって、ふとした機会に怒られたのを思い出し、そしてどうして怒られたのかを理解できたことがありました。
「ああ、あの時、あんな事で怒っていたんだ」と思って、その動機があまり汚い猜疑心のような動機だったもので、悲しくなったこと
がありました。

それとそれ以上に悲しく思ったのは、

それが分かったということは、自分も同等なくらい汚い猜疑心が出来たのかなぁと感じたことでした。


以前にも思ったことがありますが、我々大人は煩悩や諸々の猜疑心などで純粋さを忘れています。
子供を育てるというのは、忘れていた純粋な心を取り戻す良い機会なのかなぁと改めて思います。

表題の努力精進を、子供の頃のような純粋な心でまたやり直すつもりでやってみたいと思っています。