相手を許す

相手を無罪放免にする手段ではなく、自分を自由にする手段、それが「許し」です。「許す」ことにより、私たちはさらなる希望と決意を手にすることができ、より明るい未来に向かって進むことができます。
ダライラマbot)から

以前にも書きましたが、チベット仏教の講師に「臥薪嘗胆」について聞いたことがありました。そういう思想をチベットにはないのかというような質問です。

そもそも臥薪嘗胆の意味を理解してもらうのに苦労したのですが、講師は理解された後、そのようなことに意義を感じないそぶりで、「そんな風に恨みをずっと抱いていたらつらいじゃないですか」という返答でした。

ダライラマの言葉も同様な響きがありますね。