定慧等。。。


慧能禅宗六祖像の形成と変容 (唐代の禅僧)
という本を読みました。禅宗について疑問に思っていることもあり、勉強したいと思ったのが動機です。

 慧能というのは、達磨大師から数えて六代目の方で『金剛般若経』の逸話などをよく説明されることが多く、それらは少々信じられないものが多いと思っておりました。たとえば、慧能は米搗きの作務を行いながら禅の奥義を窮めた、という話などです。このあたりも含めて実際はどういうものだったのか勉強したいと思ったのが動機でした。

 読んでみて分かったのは、慧能の禅は『金剛般若経』というよりも『涅槃経』が起源らしいということでした。つまり慧能の禅は「如来蔵思想」から出発しているということが知られます。結局、道元禅師の修証一等などの考え方のルーツもこの『涅槃経』にあるだろうということが理解できました。

 「見性成仏」の考え方は既に慧能によって説明されています。これは、明らかに仏性を見て成仏するという考え方であって、如来蔵思想です。思うに、如来蔵思想の聖道的修法が禅宗、凡夫的修法が浄土教となって、中国に伝来していったのだろうとことが感じられます。今の中国は禅宗浄土教が統合されていますが、ある意味相性があっているのでしょう。

 「諸仏は定慧が等しければ仏性を見る」という説明が『涅槃経』にあります。これは仏は真智と権智が等しいという意味だと思われますが、これが禅宗の修行論に取り入れられ、修証一等まで発展していったことが知られます。「ああ、ここから来ているのか」と少し合点が行きました。

 如来蔵思想だという風に理解できれば、禅宗の理解も深まるというものですね。

 瑞剱先生は、禅宗が大層お好きだったようで、その影響で先生も禅宗の話をよくされました。慧能の話もよく出てまいりました。先生は、私に臨済録などを読むように勧めてくださっています。そんな理由で禅宗の知見を深めたかったわけです。上記の本はよくまとまっていて参考にするにはよいと思います。